鎌田慧セレクションー現代の記録5「自動車工場の闇」
シリーズ5作目で、初期の「自動車絶望工場-ある季節工の日記」(1973年12月)が収められています。
「自動車絶望工場」では、トヨタの製造ラインに季節工として潜入した様子が、半年間、日記形式で描かれています。なぜ、大量の自動車が競争力を持った価格で出し続けられ、今や日本の輸出の屋台骨を支えているのか、その裏にある工場労働者のおかれた現実、コンベヤによる非人間的労働環境を赤裸々に暴いています。
組み立て部品の移動時間を秒単位で短くすれば、短くされた流れの中で人間が組み立て作業をラインのコンベア上で行わざるを得ないのですから、結果的に製品(自動車)の生産台数が上がりますよね。恐るべき労働実態です。そのため機械に使われる人間の姿は、チャップリンのモダンタイムスのレベルを超えて、悲惨以外のなにものでもないです。
名もない工場労働者の悲惨な現実を黙認して、労働環境を何ら改善する努力もしない御用組合って、一体何なのでしょう?かんばん方式も、提案制度も、一体何のためにあるのでしょう?生産台数世界一になった会社は、働く人々に一体を何をもたらしてくれたのですか?
そもそも「労働」とは、もっと意欲的に自己実現をすることであるはずなのに、創意も工夫も必要とせず、ただただ時間内にある作業行程を反射的に繰り返し、身体がこわばっていき、疲弊し、あげくメンタルまでやられてしまうことしか要求されないというのは、人間が本来望むものではないはずです。
会社は資本家のためにのみあるとしたら、大多数の働く人はあまりにも無残であり、「絶望」しかないです。労働者は、連帯してもっと怒るべきですね。