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袴田事件その後

2023年3月26日にもこの欄で書きましたが、57年前の1966年に今の静岡市清水区でみそ製造会社の一家4人殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(87)の再審が、10月27日に静岡地方裁判所で始まりました。

なぜ、このようなとんでもない冤罪事件が起きたのかということについて、次のYouTube番組で情報を得ました。

冤罪で47年間拘束。そして●刑判決からの無罪・・・無実の袴田巌氏の人生を破壊した日本の司法はどこかおかしい!その原因の一つは警察の闇だ!元朝日新聞・記者佐藤章さんと一月万冊
https://www.youtube.com/watch?v=s03ThK6NjV4 

このような冤罪が起きたのは、とんでもない刑事が静岡県警にいたことが原因ということのようです。その人は、紅林麻雄(1908年〈明治41年〉生まれ – 1963年〈昭和38年〉9月没)という警察官で、Wikipediaにも記事があります。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 紅林麻雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E6%9E%97%E9%BA%BB%E9%9B%84

「自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決の後、再審が決定)などの冤罪事件を生む温床ともなった。あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「拷問王」と称されている。紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた。また、二俣事件における山崎兵八の書籍においては「真犯人と思われる人物からの収賄の疑惑も暴露されている。」とあります。

これは、本当に驚きで、紅林麻雄は事件のときには既に亡くなっていますが、静岡県警の捜査手法に影響を及ぼしていたということ、本当にまずい話ですね(-_-メ)